不誠実な人間に惹かれて
心を打ち砕かれた時に
その人との未来のために貯めていた
お金でダイヤの指輪を買ったことがある
小粒だがキラリと光るこの石は
今でも私の心を慰めてくれる
接客をしていると、
心が抉られるような態度の人に
出くわすことがある
今まではそこでへこたれていたが
最近ふと、
そういう性格の人がなぜ存在しているのかを考えてみた
そもそも、嫌な態度の人は
あくまで私にとって嫌なものなのであって
その人はその人の人生で
これが最適解だと信じたことを
実行しただけかもしれない
ということは、
嫌な態度に対して辛い気持ちになるのは
自分自身の心に原因がある
“嫌な人”を作り出してしまっているのは
私の考え方や見方のせいだろう
嫌な気持ちになっても苦しいだけなのに
いったいなぜ?
言葉がつまる
反対に、嫌な態度の人に出会わなければどうなるのだろうか
もし、世界に優しい人だけであったら
傷つくことはないが
自分の行動を振り返ることはないと思う
「あんな態度の人に傷ついた
人はああいう態度に傷つくのだから
己の行動を改めよう」
人間は汚いものが苦手で
なるべくそれを遠ざけようとする
嫌だと思う態度や行動から
なるべく自分を遠いところへ
離そうとする
嫌な態度の人に出会って傷つくのは
間違っているものを見て
そうではない正しい人になろうと
心を磨くためなのかもしれない
どんな宝石も、磨かなければ光らない
ただの石にしか過ぎない
ダイヤモンドもそのひとつだ
ブリリアントカットされるダイヤの悲鳴は
我々のもとには届かない
かわりに、台座にはめられた完成品を見て
感嘆の声を漏らす
たまに出会う人の優しさに涙が出るのは
心が震えるのは
目には見えない傷を受けて輝く
彼らの心が目に染みるからかもしれない
ダイヤの指輪は
大事にケースにいれてある
この子はお金をもっておらず
ましてや働かず
無論、食べられないから
腹は膨れない
ただ、美しく輝き
私の心を癒してくれる
ここにいるだけで良い
ダイヤの指輪はそういう存在なのだ